僕のスケボー遍歴を「Ready Skater」というエッセイにして、ノンフィクション8割、フィクション2割で小学生時代から振り返って書いてみたのでよろしければ読んでください。
30代〜40代の人には懐かしく感じる部分もあるかもしれません。
今回は「平成よこんにちわ〜中学生編〜」です。
それではどうぞお付き合いください。
前回までのお話し
中学生になった僕
中学生になった僕は仕方なくバスケットボール部に入部することになる。
仕方なくの理由は、本来はサッカーをやりたかったが、この中学校にはサッカー部がなかったからだ。
過去にサッカーゴールが倒れて部員が下敷きになって以来サッカー部は廃部となっていた。
僕は小学生の頃からキャプテン翼の影響でサッカーが好きで、自分で言うのも何だが、周りの友達より少しばかりサッカーボールの扱いには長けていたのだ。
でもサッカー部自体がないなら仕方ない・・・
これが僕の人生でニ度目の挫折かもしれない。
一度目は小学生の頃、ベストキッドという映画の影響で空手を始め、組み手では上級生を蹴散らしていたくらい、それなりに素質もあったかもしれない。
しかし、その空手の創始者から執拗に現金の寄付を求められた親が参ってしまい辞めることになったのだ。
ベストキッドのダニエルさんにもなれず、キャプテン翼の翼くんにもなれない僕・・・
自分がやりたいと思うことは簡単にできないんだと、中学生ながら既に人生に落胆していた。
そんな気持ちでバスケ部に入部した僕だったが、一応は頑張ってバスケットボールの練習をしていた。
しかし、どの世界にも嫌な奴はいるもんで、他の学区からやってきたスズモトコウスケという奴が
部活初日に僕を突き飛ばしたのだ。
今でも覚えている奴のニヤけ面を・・・
こいつが同級生にも関わらず、部内で上下関係を作り出し、自分が優位に立てるように人間関係を牛耳っていった。
そしてレギュラーの座を確保する為か知らんが、顧問の先生が見てないところで執拗に圧力を掛けてきた。
僕の他にもコイツに突き飛ばされ失敗を誘発させられた奴がいたりと、とにかく汚い手を使う奴だ。
僕は暫くはコイツの汚いやり方に抵抗していたが、元々それほど闘争心のない僕は、程なくして奴に屈してしまう・・・
そのせいで僕は一年生にして、既に部活への情熱は失せていた・・・
オーリーエア〜!クリスチャ〜ン・・・ホッソ〜ッイ!!
部活は嫌だったけど辞めずに続けていた僕に再びスケボーとの再会が待っていた。
それは同じクラスのベェヤンとの出会いだった。
ベェヤンは日焼けした褐色の肌に、ニコニコ笑顔の優しい奴で、直に友達になった。
程なくして部活が休みの日はベェヤンと遊ぶようになった。
初めてベェヤンと遊んだ日のことを今でも覚えている。
晴れた6月の土曜日の午後。
小学校の頃は別学区であった為、あまり行ったことのない中野町公園で待ち合わせをした。
知らない上級生のヤンキーに絡まれないかビクビクしならがベェヤンを待っていると、そこにガラガラガラ〜とハードウィールの大きな音がし、パウエル・ペラルタのハーフパンツにボーンズのTシャツという出で立ちのベェヤンが現れた。
スケボーをやっているとは聞いていたが、本物のスケーターを見るのは初めてだった。
そのベェヤンの姿に衝撃を受け、未知の世界を垣間みたようで、僕はドキドキしていた。
ベェヤンに公園の中に入ろうと促されると、彼は猛スピードでプッシュしてベンチに突っ込んで行った。
えっ?えっ?と思っているのも束の間、彼はオーリーからベンチの縁にグラインドしてみせた。
えっ?
ベェヤン今なにやったの?と聞くと、ベェヤンは「オーリーエア〜!」と外国人風に答える。
僕が初めてオーリーを見た瞬間だった。
ちなみにこのベンチは彼のグランドの餌食となり、破壊され、後に新しいものと交換される運命にあった。
スケボーって飛べるんだ〜
すげぇ〜な〜ベェヤン!
クリスチャ〜ン・・・ホッソ〜ッイ!!とまたまた外国人風に意味不明の言葉を発するベェヤン。
その後、ベェヤンといつも一緒にスケボーしている2コ上の先輩が2人やってきて一緒に遊んだ。
そしてオーリーの原理や、他のトリックを一通り見せてもらった後、ベェヤンの家に行くことになった。
ベェヤンの家に着くとベェヤンの母親と弟が、いらっしゃ〜いと出迎えてくれた。
ベェヤンは直にスケボーの雑誌やビデオを持ってきて僕に説明し始めた。
クリスチャン・ホソイやトニー・ホーク、スティーブ・キャバレロやマイク・バレリー、マーク・ゴンザレスというプロスケーターがアメリカにいることを教えてくれた。
その日の夜は興奮で眠れなかった。
今まで僕がやっていたスケボーとは全然違う本物のスケボーを見てしまったからだ。
そして、その日を境に僕は小学生の頃に買ってもらった偽物のスケボーでオーリーの練習を始めた。
ベェヤンはスーパーキッズだった
それからベェヤンは僕にスケボーのことを色々教えてくれた。
そして彼はスケートショップにステッカーを買いに行くから付き合ってくれという。
[※当時カリフォルニアストリートというスケボーショップが八王子にあった。今は代官山にある有名なスケートショップである。]
断る理由もないので自転車に乗って付いて行くと、ショップに入ったベェヤンに店員さんが話しかけてくる。
どうやら彼は常連らしい。
しかも大人顔負けの滑りをすることで知られる、いわゆるスーパーキッズだということが判明。
彼はいつでもスケボーの事を考えている。
学校にも指スケを持ってきては指でオーリーを披露する。
日曜日になると市役所の階段の踊り場でハンドプラントした写真を撮ったと自慢してくる。
今思うとマイク・バレリーみたいにストリートでハンドプラントしてたんだね。
僕以外の友達にもスケボーの話しはしていたが、一番興味を持って聞いている僕には特に熱く語ってくれた。
そんな僕も次第にオーリーが出来るようになり、ちょっとした歩道ならオーリーで上がれるようになっていた。
ベェヤンがスケボーを辞めた・・・
中学2年生になると僕とベェヤンは違うクラスになってしまった。
そして暫く遊んでなかったベェヤンと廊下でばったり会ったのでスケボーやってる?と聞くと・・・
実は最近やってないんだよね〜
えっ!そうなの?
そんなんだ。
今はスケボーよりボディビルに興味が沸いてきて体を鍛えてるんだ。
ボディビル!?
そう言えば以前にボディビルの雑誌を買いに付き合わされたことがあったけ・・・
へぇ〜でもスケボーもったいなくない?
すけぇ〜うまかったからさぁ・・・
そうだけど今はボディビルなんだ〜
ふぅん〜そうなんだ〜
そんな僕もあの嫌な奴、スズモトコウスケと喧嘩して気まずくなってからは、部活から足が遠のいていた。
そしてあんなに威張っていたスズモトコウスケは実は喧嘩が弱かったことが判明。
なんであんなに怯えていたんだろう?と更にバカバカしく思えてきた。
そして僕も次第にスケボーから離れて行き、サバイバルゲームやマンガ、スニーカー文庫などのオタクっぽいものにハマっていったのだった。
僕もベェヤンも移り気な中学生ではあったが、特にベェヤンはゆくゆくはプロ?なんて周囲からも期待されていたから、もしあのまま続けていたらと思うと・・・
まぁ仕方ない、だけどベェヤンは3年生になるとボディビルの成果か、大胸筋をピクピク動かせるようになっていた。
続く・・・
Ready Skater Three「スタンド・バイ・ミーLAから来たスケーター”エディ”」【オレたちの90s〜高校生編〜】
【前回までの話し】
Ready Skater One「僕のスケボーはデパートで買ってもらった偽物から始まった」【昭和ノスタルジー〜小学生編〜】
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