東日本大震災から5年経っても僕らが続けてできることとは

東日本大震災から5年経っても僕らが続けてできることとは

東日本大震災から5年。

今日は朝からテレビで某有名女優さんが震災後直ぐに被災地を訪れ、

被災者と接していた・・・あれから5年・・・

なんてやつがやっていたけど、この人のギャラいくらなんだろ?

ってついつい斜めから見てしまう意地悪な自分がいる・・・

黄色いTシャツのチャリティー番組なんかでも司会のアイドルグループや

チャリティーランナーのギャラがウン千万なんて聞くと、その金寄付しろよ!

なんて冷めてしまうんで、芸能人やテレビの中で言ってることって胡散臭さを感じる。

震災で大切な人を失くした気持ちは計り知れないけど、お涙頂戴の演出はいい加減止めないか?

前向いて歩き出している人は、あの日を思い出して暗い気持ちになるんじゃないかい?

 

そこで一体何が起きているのか?

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震災の翌年に制作された「Tribute City」が物語っている。

福島のローカルスケーターが制作したスケートビデオだ。

この映像にはお涙頂戴の演出が一切ない。

あるのは普通にスケートを楽しむスケーター達の姿と放射能の数値・・・

国が定めている一年間の放射能基準値は1ミリシーベルト。

生涯100ミリシーベルトまでと言われている。

このビデオに映った数値であれば年間で10ミリシーベルト。

10年間で一生分の被爆量に達してしまう。

しかし彼らはそこで生活してる。

スケーターはスケートして、子供達は公園で遊んでいる。

「いま、私たちに何ができますか?」の問いかけに彼らは

笑顔でスケートしてます。

仲間と今を楽しんでいます。

変わらずスケートショップを営業しています。

 

僕らに出来ることは今を笑顔で楽しく生きること

ぶっちゃけ震災のことは月日が経つに連れて忘れていっちゃってる。

方法はどうあれ、一年に一度でもあの日のことを思い出させてくれる

テレビにも少しは感謝しつつ、被災者への同情だけではなく、

僕らができることってなんだろう?

地位もお金もない僕にできるこってなんだろう?

一時期、少額ではあるが被災地支援に寄付していたことがあったけどなかなか続かない。

かといって現地に行って何かし続けるのも現実的に難しい・・・

震災当時を思い返すと3.11を境に人生について真剣に考え出した人ってとても多いと思う。

実際、僕も仕事場で、もの凄い揺れを感じて同僚と建物から飛び出し、

生命の危機を感じたことを覚えている。

家族とも連絡が取れず不安な一夜を過ごした。

その後、暫くは余震に怯えながら在宅で仕事してた。

そして僕の場合は生き方や仕事の仕方を考えるようになった。

今、自分がやりたいことができているのか?

明日には死んじゃうかもよ?

って考えてるようになった。

そうだ自分の気持ちに正直に生きよう。

家族を大切にしよう。

自分を大切にしよう。

仲間を大切にしよう。

自分に嘘はつかず、家族や仲間と笑顔で生きて行けるのが一番の幸せって思った。

なので普段から継続的にできることって、一人一人が幸せに生きていくことで、

元気玉じゃないけど、ポジティブなオーラが集まり大きくなって、日本中を包むことじゃないかな?

しつこいようだけど、お涙頂戴だけではとても暗い気持ちになるからイヤ。

色々問題はあるけど、僕に出来ることは今を笑顔で楽しく生きて行くことだけ。

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