ドキュメンタリー映画「DEATHBOWL TO DOWNTOWN」西海岸で産まれたスケボーが東海岸でどのように進化したのか

ドキュメンタリー映画「DEATHBOWL TO DOWNTOWN」西海岸で産まれたスケボーが東海岸でどのように進化したのか

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この間、スケボーのドキュメンタリー映画

DEATHBOWL TO DOWNTOWN(テ゛スホ゛ウル・トゥー・タ゛ウンタウン)

を見ました。

2009年と少し前の映画なのですが、アメリカ カリフォルニアで産まれた

スケボーがどのようにニューヨークのストリートで発展し新たなカルチャーを築いたかが

伺える非常に貴重なドキュメンタリーでしたので紹介したいと思います。

 

1970年代のニューヨークと元祖ズーヨーク

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1970年代にカリフォルニアでサーフィンの亜流として誕生したスケボーは

大陸の反対側のニューヨークにも伝染しました。

当時のニューヨークは現在のオシャレでかっこいい洗練された街ではありませんでした。

それは無法地帯で街を歩くにも恐ろしいほどの危ない街だったのです。

しかしそんな中で誕生したのが「ズーヨーク」とうアート集団でした。

このズーヨークは現在のズーヨークとは別物で元祖といった方がよいのか?

とにかく彼らはカリフォルニアのスケボースタイルをニューヨークのストリートで

体験できないかと試行錯誤したのが元祖ズーヨークだったのです。

彼らは雑誌なども発行しブランドとして確立しブレイクするのですが、

スケボーブームの衰退と共に姿を消したのです。

 

1980年代ニューヨークではカーブやバンクを探して滑った

1980年代前半には衰退したスケボー人気に再び復活の兆しが見えてきました。

それはカリフォルニアのスケーター達がバックヤードランプなどでの

手作りスケボー大会が火付け役となったのです。

そしてスラッシャーマガジンの創刊も追い風となり再びスケボー人気を集めるのです。

しかしニューヨークにはランプを置くような広いスペースもありません。

なのでニューヨークスケーター達はストリートに出てカーブやバンクで

ランプのトリックを再現して楽しんでいました。

そんな中、ボーンズ・ブリゲードのビデオ「フュチャープリミティブ」の中で

スティーブ・キャバレロやランス・マウンテンらがニューヨークの街を滑る

シーンが登場し、ランプじゃなくても、どこでもスケボーは滑ることを証明したのです。

それを見た少年達は衝撃を受け皆ストリートに出てボーンズ・ブリゲードの真似をしたのです。

そんな少年達の中にあの「マイク・バレリー」がいたのです。

ストリートの先駆者の一人でもあるマイク・バレリーはニュージャージーから

ニューヨークまでわざわざ来てスケボーをしていたのです。

彼はストリートでランプのトリックを自由自在に繰り出し注目を集めるのです。

スケボーはニューヨークのストリート進化を遂げていくのです。

 

オーリーでゴンズがNYストリートにインパクトを与えた

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ロドニー・ミューレンがフラットでのオーリーを発明したことによって

ストリートスケートが飛躍的に進化したこをご存知の方も多いでしょう。

そして更にストリートを次のレベルまで押し上げたのがゴンズこと「マーク・ゴンザレス」です。

ゴンズはニューヨークのストリートで1980年代半ばに衝撃的な滑りを魅せます。

まるでスーパーボールのように飛んだり跳ねたり、ゴンズはニューヨークという巨大な

キャンバスにスケボーで絵を描いてみせたのです。

 

スケボーとアートの融合

芸術家でスケーターのジェレミー・アンダーソンがロフトを開放。

そこにはスケーターやアーティストが集まり絵を描いたり、彫刻をしたり、

音楽を聞いてスケボーしたり、とにかく感性を刺激する開かれた場所でした。

そのロフトでスケボーとアートの融合がなれたのです。

そしてニューヨーク独自のグラフィックなどが誕生したのです。

 

ニューヨーク発のスケボーブランド「シャット」

シャットはニューヨークのストリートを意識したいわゆる現代的なスタイルで

ニューヨークが産んだニューヨークのストリートスケートを体現したブランドでした。

そしてここから数々のストリートスケーターが誕生したのですが、

そこに目をつけた西海岸のカンパニーから次々と引き抜きにあってしまい。

シャットは終わりを告げるのでした。

しかし終わりがあれば始まりもある。

シャットはニューヨークのキッズ達に影響を与えていたのです・・・

 

1990年代ズーヨーク設立そしてシュプリームのオープン

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そしてとうとうここまできました。ニューヨークスケートの代表「ズーヨーク」です。

先に述べた元祖ズーヨークとは無関係で、元「シャット」の「ロドニー・スミス」が

作ったシャットの流れを組むスケボーブランドです。

ズーヨークはヒップホップやグラフィティが注目を浴びると共にニューヨーク文化が

最盛期を迎え、ビズネスとしても大成功を収めるのです。

そしてそこから産まれたスケーターがあの「ハロルド・ハンター」です。

貧困地区の施設で育ったハロルド・ハンターはスケボーで成り上がり、

世界に知られるスケーターとなるのです。

ニューヨークキッズの日常を描いた、映画「キッズ」にも出演しまさに時代の寵児になるのです。

そしてもう一つニューヨークスケートに大きな影響を与えたのが「シュプリーム」です。

日本でも藤原ヒロシさんが紹介してオシャレさんの間で一躍、有名になりましたね。

そのシュプリームはニューヨークスケーターのクールさの象徴となり、

スケボーシーンへの認識の変化の原動力となりました。

 

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まとめ

「生き延びるのは最も強い種でも賢い種でもなく

変化に強い種である」

by チャールズ・ダーウィン

 

世界のスケートボーダーは生き残るために闘ってきた

それはNYのストリートも例外ではなかった

 

この映画の冒頭のメッセージである。

スケボーは生き物でもなんでもなく、木の板に車輪が付いた、ただの物体だ。

なのにカリフォリニアで産まれたこの物体はまるでアメーバのように増殖し、

そして更に進化しながら世界中に広がっていった。

この物語はニューヨークのストリートに適応し、進化していったスケボーの物語だが、

私たちの住む日本でも、カリフォルニアやニューヨークとは少し違った日本独自の

エッセンスを踏まえながら広まっていったのだと思う。

そういう意味でスケボーは変化に強い種として今でもアフリカなどの途上国に渡り、

環境に適応しながら増殖し続けている生きのもなのではないだろうか。

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