【スケーター名鑑】エド・テンプルトン「スケボーからアートへ表現の場を変えたスケーター」

【スケーター名鑑】エド・テンプルトン「スケボーからアートへ表現の場を変えたスケーター」
photo by foxxyz
photo by foxxyz
Advertisement

名前:Ed Templeton(エド・テンプルトン)

生年月日:1972年7月28日

出身:カリフォルニア州 ガーデングローブ

スポンサー:ToyMachine, Emerica, Eswic, Thunder, RVCA, Ricta

エド・テンプルトン関連商品をチェック>>

 


 

スケボーしてアートして会社経営はダメだけど「エド・テンプルトン」は

根っからのスケーターだと思う。

今ではフォトグラファーや芸術家としての色の方が濃いけれど

アートショーなどでは未だに彼の滑りを見る事ができる。

やはり根底に流れているのはスケボーカルチャーとの繋がり。

そんな彼をスケボーはどうやってここまで運んできれくれたのか?

 

「忍者になりかたかった」パッとしない子供時代

エド・テンプルトンは子供時代、テレビを見てゲームをして、

それ以外は忍者の格好をして手裏剣を投げていたような、

どことなくパッとしないネクラな少年でした。

そのエド少年を変えたのがスケボーとの出会いで、

中学生のときにクリスマスプレゼントに買ってもらった自転車と弟の買って

もらったスケボーを交換したことから彼の人生が動き出していくのです。

当初どやって乗っていいか解らなかったエド少年は両足を揃えてサーフィンの

ような乗り方をしていたようです(笑)

そこへ近所の少年達が縁石の上に乗ったり、降りたりしていたのを見て

自分もああやって滑ってみたい!

スケボーがエド少年の心を動かしたのです。

いわゆるエド・テンプルトンがスケボーの洗礼を受けた瞬間というわけです。

それからはスケボーを持って学校に行き、パンクキッズ達の輪に入るようになり、

パンクを聞くようになる。

ネクラだったエド少年の世界はガラリと変わり、今まで接点のなかったような人達と

友達になり一気に世界が広がっていったのです。

 

プロスケーターになった10代の頃

スケボーと出会ってしまったエド少年はメキメキと上達し、

1985年にはとうとう「サークルA」というカンパニーからスポンサーされる

ことになります。

その次は「シュミスティック」チームでエドがリスペクトしていた

クリス・ミラーが所属していたチームでした。

そして初のシグネチャーモデルをリリースしたのが18歳の時にスポンサーさえれた

「ニューディール」からでした。

中学生の時にスケボーと出会ってから5年やそこらでここまでたどり着いてしまった

エド・テンプルトン。

才能と実力に溢れたスケーターだったことは言うまでもありません。

 

自らスケボーカンパニーを立ち上げる

エドががスケボーカンパニーを立ち上げるきっかけとなったのは、

おじいさんのアドバイスがあったからだった。

「この先の自分の人生を見てごらん。人は80歳まで生きるんだよ。

何歳までスケートしていられると思う?」

エドはこの話しを聞いたとき50歳になってもスケボーをしていられるとは思えなかった。

でもスケボーは好きだからどうやってスケボーに関わりながらお金を稼げばいいのか?

そこで浮かんだのが自分でスケボーカンパニーを作ろう!そう思いついたのです。

最初のカンパニーは「マイク・バレリー」と一緒に立ち上げた「T.V.」というカンパニー。

テンプルトンの「T」とバレリーの「V」を取って命名した。

しかしこのカンパニーは永くは続かず短命に終わる。

その後、1993年に立ち上げたのがエド・テンプルトンの代名詞的カンパニー

「Toy Machine(トイ・マシーン)」でした。

最盛期には「ジェイミー・トーマス」「チャド・マスカ」「エリッサ・スティーマー」など

蒼々たるメンバーを抱えていたチームです。

今でも第一線で光を放つ「Toy Machine」ですが、本人いわく、

「私はスケートカンパニーを運営するにはアホ過ぎるのであまりうまくいっていない。

私は働らかないでいつもスケボーするか写真を撮っているからだ。」

とのことですが、浮き沈みの激しいスケボー業界で今でもカンパニーを

持続させているのだから凄いことです。

ちなみに下の動画は90年代のエド・テンプルトンめっちゃカッコいいです!

 

アーティストとしてのエド・テンプルトン

そして現在はフォトグラファー、ドローイングなどのアート作品を発表し続けている

エドですが、アートに興味を持ったきっかけは「ゴンズ」が自分のデッキのグラフィックを

自分でデザインしていることを知って、自分もやってみたいと思い1990年から自分の

シグネチャーモデルをデザインし始めたのが始まりでした。

その後はフォトグラファーの「クリスチャン・クライン」から写真を学び

本格的にフォトグラファーの道を歩み始めることになります。

エドにとってアートとは自分自身の人生だと言う。

いつも何かを説明しようとするとうまくしゃべれなくなってしまう。

なのでアートは自分自身の表現の全てだと言っています。

そんなアーティストとしてのエドの根底に流れるはスケボーカルチャー。

デザインやドローングや写真は全てスケボーがなかったら出会わなかったことです。

 

 

まとめ

エド・テンプルトンは現在では昔のようにガンガンスケボーができなくなっている

それは膝が痛むのとある程度の年齢になっているかからだと言う。

しかし彼は今でもスケボーと繋がりながら自分を表現している。

その手段がスケボーから写真やアートに変わっただけのように感じる。

現に彼の作品にはアバンキャルドで常識に囚われないエネルギーが放たれているからだ。

そしてそんな彼の生き方は今後のプロスケーターのロールモデルになって行くと思う。

スケボーカテゴリの最新記事