貢献とは自己犠牲ではない「自分の生き様を周りに見せる事」

貢献とは自己犠牲ではない「自分の生き様を周りに見せる事」

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犬はいいですね。

一日中寝ていて・・・こいつにも悩みはあるのでしょうか?

あるとしたらもっと遊んで欲しいことくらいでしょう。

 

こいつが足下に陣取ると身動きが取れなくてイライラします(笑)

イスをズラすにも気を使います。

まぁこいつはこいつで存在自体が僕ら家族に癒しを与えてくれるから偉いのだ!

 

そんなどうでもいいことを考えながら日々を過ごしている僕なんだけど、この間読んだ本の中に気付きを与えてくれるワードがあってね。

それは貢献について語られていて「貢献とは決して自己犠牲でない」と言うんだよね。

じゃあ何なのよ?

 

「貢献とは自身の人生の目的を果たし成長を遂げる姿を周りに見せる事」。

つまり「貢献とは自分の生き様を周りに見せる事」なんだって・・・

 

あぁ〜〜〜!どうしてもっと早く教えてくれなかったの〜!!

 

最近何となく自分の人生の目的みたいなものが見えてきて、そのミッションを遂行するにあたり、ここまで明確なワードで伝えてくれると、何か見えない力を感じてしまうよね。

トリガーってやつですか?

 

日本の社会では貢献とは自分を犠牲にして頑張るという選択をしてしまいがちで、尚かつそれが美徳とされてきたわけだけど。

僕自身の過去を振り返ってみても、会社の為!社長の為!仲間の為!にと自分の喜びを封印し、周りの為に自分の何かを捧げる行為をしてきた。

例えば新婚旅行返上で仕事をしたり、人の3倍働けという社長の命令で帰りはいつも終電とかね。

そして結果、得たものは鬱病だったけどさ。

今となっては笑って言えるけど、当時は相当辛かったよ。

そりゃそうだよね。

自分が喜びを感じないことを毎日続けていたんだから、おかしくなって当然。

でも今から見れば、そんなことも必然だったと言える。

だから今の僕があるのは彼らのお陰だってようやく感謝できるようになった。

 

それともう一つ「貢献は誰かに尽くすことじゃない」ということ。

これも日本人なら選択してしまいがちで、家族の為!夫の為!妻の為!子供の為!

もちろん家族は大切だけど自分をないがしろにして尽くすことじゃなくて、

「自分が喜びを見つけ、そして成長し、その姿を見せて届ける気付きこそ、最高の貢献になる」と言うじゃない!

よくぞここまで解り易く伝えてくれたと感謝します!

ありがとうございます!

 

ちなみに僕に気付きを与えてくれたのはこちらの本です。

偶然本屋さんで見つけ、手に取ったことも必然だったのだろう。

 

 

ここからは陰謀論です(笑)

スピリチュアルって怪しいですよね〜

でもこの「スピリチュアル=怪しい」という公式を作ったのは誰だか知ってますか?

人々にスピリチュアルで解放された生き方をされたら都合の悪い人達・・・

 

それは世界を牛耳っている一部のエリート達です。

エリート達は今の世の中に疑問を持たない人達。

つまり自分達がコントロールの効く人間がたくさんいた方が都合が良いのです。

だから心や思考が解放されたスピリチュアルな人間は必要ないのです。

これを暴露した僕はエリート達に抹殺されるかもしれません・・・

もしくはこのブログがGoogle神から裁きを受けて永遠にインターネット上から排除されるかもしれません(笑)

 

しかし、もうスピリチュアルを意識して生活しないのはありえない時代だと僕は思っています。

人間も進化して行くに伴い、心や思考が解放される時期にきている。

だって現実に人工知能や機械が目覚ましいスピードで進化しているんだからね。

それは人間を次のステージに押し上げる序章に過ぎないんだからさ。

 

最後は分け解らなくなってしまったけど、これくらいにしときます。

んじゃね〜

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