ボブ・ディランはどうして最終的にノーベル賞を受け取ったのだろう?
誰もがディランはノーベル賞は受け取らないと思っていた。
実際には友人に代理で授賞式に出てもらい何だか仕方なくもらった感があったように見えたけど・・・
僕はディランのことはあまり詳しくないが何となくアマノジャックで体制を
批判してきたイメージの人。
だからもう少しディランのことを知りたくて浦沢直樹と和久井光司がディランを語るという本を読んだ。
ボブ・ディランという名前を聞くと僕は何故だか「風に吹かれてぴ〜ひゃらら」という言葉が
頭の中を雲が漂うように浮かんでくる。
誰が言ったか誰から聞いたのかは解らない。それとも自然発生的に出てきた言葉か。
実際にディランの曲に「風に吹かれて」という曲もあるし、ディランのイメージとして
ツバの大きなハットにギターを抱えているスタイルがスナフキンや寅さんのような
誰にも縛られない自由な人を連想させるからだろうか。
ディランは今じゃノーベル賞を受賞したとても偉い人になっちゃたけど(笑)
ファンや周囲の人の期待をことごとく裏切ってきた人みたいだね。
まさしく「風に吹かれて」をはじめフォークで世の中を席巻しみんながディランに
憧れ好きになった。
当然ファンは次もフォークなディランを求めるは当たり前。
しかしディランはロックに路線変更。
時代はビートルズだったから俺も!って感じなのか?
でもそんなロックなディランも悪くない!
イェ〜イ!ディランかっこいいじゃん!と思ったらゴスペルの要素を入れてきたり・・・
そうやってことごとく周囲の期待を裏切ってきたのがボブ・ディラン。
だからノーベル賞を受け取ったのも何だか解る気がしてきた。
そんな物に意味はない・・・
もらってももらわなくても俺は変わらないからそこまで言うならもらってやるか。
ぐらいなんだろうなって(笑)
そんな感じでディランを知ることで僕はこう思ったんだよね。
「もう一人の自分の期待も裏切ってしまおう」って。
生きていれば道に迷うこともあって、そんなとき諦めてしまいそうで、
僕の中のもう一人の自分がこう言うんだ。
「そっちの方が安全で楽だよ。」「君はやはりそうするべきなんだ。」ってね。
それでも僕が言うことを聞かないときは「家族がいるのにそれでいいの?」「年齢考えれろよ!」
と更に強い口調で追い打ちをかけてくる時があるんだ。
でもそんな時は絶対その反対を行ってやろう。
俺はこれがやりたいだんからそっちには行かないよってね。
それに現状を打破したい時はいつもと違う行動をとるといいって言うしね。
それが常識の範囲(マイルール)の外に出るってこと。
でもそれでうまくいくは風だけが知っている。
風に吹かれてぴ〜ひゃらら〜〜〜
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