この間、埼玉にある「玉川温泉」というところに行って来た。
この温泉は昭和レトロな雰囲気を味わえる温泉としてとても人気なんだが、
大広間では食事をしたりアコーディオンを伴奏に昭和な音楽を奏でるライブが行われていた。
そのライブで驚いたのが利用者がみんなで音楽に合わせて手を叩きながら歌っているんだよね。
「青い山脈」を知らない者同士一緒に歌っているんだよ(笑)
このご時世とてもめずらいい光景だなって思ったのと同時にその大衆的な雰囲気がとても心地よかった。
もちろん温泉もヌルっとしたお湯で体も癒されたよ。
僕は少し前から昭和的な人情や雰囲気などに惹かれていて、
「Amazon プライム ビデオ」で「寅さん」を観まくってたんだけど、
やっぱり世の中には色んな人がいて楽しいなって思えたんだよね。
だって寅さんって親戚にいたら厄介者だし関わりたくないアウトローだよ。
たまに帰ってきたと思ったら毎回ひと騒動起こして周りをかき乱してまた旅にでちゃんだから。
でも子供にはめっぽう人気があるみたいなね(笑)
それを昔は全部ひっくるめて「あいつはバカだね〜」って寛容に受け入れてくれていた。
先の玉川温泉で見たそこにいるみんなが一つの歌で楽しんじゃうみたいな光景が昔は日常的に
あったんだと自分の幼き頃を振り返っても思うんだよね。
でも今は画一的なもので全てを平均化してしまうのでとてもでつならない・・・
町の商店は次々に消えて大型ショッピングモールのチェーン店に足が向く。
僕はショッピングモールも利用するけど、やっぱりものによっては自宅近くの個人商店の方が
良かったりするんでそちらを利用する。
クリーニング屋だったり、服のリフォーム屋だったり、時計屋だったり、接骨院だったり、
中にはおじいちゃんで耳は遠いし、しゃべり出したら5分、10分じゃ済まない人もいるけど
やっぱり腕はいいし流石プロって思える仕事をしてるくれるから頼んで良かったってなる。
チェーン店でもそれなりに訓練を受けている人が店頭に立っているんだけど、
やっぱり全てに対応してくれないときがあるんだよね・・・
例えは時計の電池交換一つでも、少し特殊なものになると1週間は預けなくてならなく、
その場で交換してくない・・・
でも百戦錬磨の町の時計屋のオヤジはその場でサクッと交換してくれるんだよね。
この違いってかなり大きいと思わない?
だから無駄話しに付き合ってでも個人商店を利用しちゃうんだよね。
まぁ無駄話しも嫌いじゃないけどさ。
クリーニング屋のオヤジなんかモンシロチョウのサナギを飼っていて30分説明されたよ(苦笑)
でもやっぱり個人商店は潰れてほしくない!
僕が思うに本当に凄い人って身近にいる横丁のオヤジやオバさんなんじゃないかと思う。
そう思い出したきっかけは一年前に亡くなった母のこと。
僕の母はごくごく普通のオバさんでこの広い世界から見たら誰も知らないような小さな存在。
世の中の事にはホント無頓着で天然な母に僕はしょっちゅうイライラしてた。
でもスイッチがパチンとオフになってこの世から消えて、そんな母の存在を強く意識したんだよね。
あの美味しいご飯がもう食えないのかって・・・
僕にとっては「母=飯」だったんで、僕らに美味しいご飯を提供してくれていた唯一の存在。
ダメなところはたくさんあったけど昭和から平成まで懸命に3人の子供に飯を作り続けた。
どんな偉い料理の先生より「凄い人」だったってこと。
だから遠くの偉人よりも身近で直ぐそこにいる、一見ダメダメに見える横丁のオヤジやオバさんが
本当は凄いんじゃないか?もしくはどこかの誰かにとっては「凄い人」なんじゃないかって
思うようになった。
「老子」が言っていた本当に凄い人は世の中の表舞台には決して出てこないという意味が
本当は身近に居過ぎてわからないってことじゃないかって想う今日この頃。
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